AIに通せば別物?――「豪姫」肖像画騒動と著作権の意外な境界線

 「ネットで見つけた画像を、そのまま使うのはまずい。」ここまでは、なんとなく分かります。
では、その画像をChatGPTに読み込ませ、新しい画像を作ってもらい、さらに人間が顔や着物を描き直したらどうでしょう。「AIを一回通したので、もう別物です!」
……残念ながら、著作権法にそんな便利な「全自動・権利洗浄コース」は搭載されていません。

 


2026年、「豪姫」のイラストで何が起きた?

 2026年9月、小学館のWebメディア「サライ.jp」は、同年8月23日に公開した豪姫の記事に掲載したイラストについて、著作権侵害があったとして謝罪しました。サライ.jpの説明によれば、記事制作は編集プロダクションに委託され、イラストはさらにフリーランスのイラストレーターへ発注されました。イラストレーターはWeb上で「豪姫」を検索し、三善千愛氏が制作した肖像画を見つけ、その画像を、権利関係を確認しないままChatGPTに読み込ませ、「中世戦国時代の姫を出して欲しい」と入力して画像を出力したとされています。その後、生成画像をAffinityに取り込み、着物の柄などを変更し、顔についても別の銅像資料を参考にペンなどで修正して納品したとされています。元の肖像画の著作権者は岡山市です。
 事件の出発点となった三善氏の「豪姫」肖像画が次の作品です。ここで構図や人物の姿勢、衣装、手の位置などを少し覚えておいてください。あとで試験に出ます……ではなく、本当にあとで比較します。

(画像は岡山城に展示された三善千愛《豪姫肖像画》です。
写真出所:tar0xtar0「香川・岡山・兵庫07『東の夢二と西のミュシャ―STYLE of BEAUTY―』『ベル・エポック―美しき時代―』」『ある日 この道』(2025年4月30日))

 

 著作権侵害を考えるとき、大きなポイントになるのが「依拠性」と「類似性」です。乱暴にいえば、①元作品をもとに作ったのか、②出来上がった作品に元作品の創作的な表現が残っているのか、という二つの問いです。
今回、最初の「依拠性」はかなり分かりやすいです。制作者自身が元の肖像画を見つけ、その画像そのものをChatGPTへ入力しているからです。「偶然似ました」と言い張るには、かなりの勇気がいります。しかし、ここで「元画像を使った。はい、著作権侵害」と答案を書いたら、まだ早いです。次に「類似性」という、もう一人の門番が待っています。



「似ている」だけで侵害?――「コーヒーを飲む男性」事件が教えること

 では、ここまでの制作経緯を踏まえ、元の肖像画と実際に掲載されたイラストを並べて見てみましょう。ITmedia NEWSでも両者が紹介されています。次の比較では、左に三善氏の元肖像画、右にサライ.jpの記事に掲載された問題のイラストを置いています。

(左:三善千愛《豪姫肖像画》/右:サライ.jp掲載の豪姫イラスト。出所確認:ITmedia NEWS「肖像画をChatGPTに読み込ませて出力→加工して納品 委託先による著作権侵害で、小学館「サライ.jp」が謝罪」2026年9月18日)

 

 ここで法律のことをいったん忘れて、上の2枚を見比べてみましょう。似ているでしょうか。おそらく「かなり似ている」という人もいれば、「顔や柄はだいぶ違う」という人もいるでしょう。その「えー、どっちだろう?」こそ、今回の事件の一番おもしろいところです。
 2枚とも豪姫を描いています。黒い長髪、和服、正面寄りの女性像、戦国時代らしい雰囲気――しかし、こうした題材やアイデアそのものを、一人の著作者が独占できるわけではありません。もし「長い黒髪+着物姿の姫」を描いた瞬間に他人が使えなくなるなら、日本史コンテンツ業界は大混乱です。最終的には全員、パーカー姿の戦国武将になってしまうかもしれません。
 著作権が保護するのは、題材ではなく具体的な創作的表現です。そこで見るべきなのは、人物の姿勢、頭や肩の位置、腕や手の配置、身体の輪郭、衣服の形や重なり、顔貌、色彩、背景、構図などです。

 

 この点を考えるうえで興味深いのが、通称「コーヒーを飲む男性」事件です。JUCCでは「写真素材のイラスト化事件」として紹介されている東京地裁平成30年3月29日判決(平成29年(ワ)第672号・第14943号)です。
 原告のペイレスイメージズ株式会社は、75点の写真を収録した写真素材集CD「Makunouchi 043 Christmas Couple」を販売しており、その1点が「コーヒーを飲む男性」という写真でした。被告は2015年10月頃、同人誌イベントに出品する小説同人誌の裏表紙を作る際、インターネットで「コーヒーを飲む男性」を検索して見つけたサンプル画像を参照し、イラストを作成しました。被告自身も、男性の頭部から肩までと、コーヒーカップ及びそれを持つ手の輪郭を線でなぞったことを認めています。イラストはA5版同人誌の裏表紙の一部、わずか約2.6センチ四方のスペースに使われ、2015年10月18日のイベントで50冊が販売されました。
 その後、2016年7月に第三者から指摘を受け、被告は初めてその写真が有料の写真素材集に収録されたものであることを知りました。被告は販売会社と原告に謝罪し、使用料の支払いも申し出ましたが、原告は当初54万円、その後29万7000円を請求しました。話し合いがまとまらず、原告は著作権侵害を理由に損害賠償を求めて提訴しました。これに対して被告も、過大な請求等が不法行為に当たるとして反訴しました。
 ここが今回の「豪姫」騒動との共通点です。被告が元写真を見ていたこと、しかも実際にその輪郭を参照していたことには、ほとんど争いがありません。つまり依拠性は認めやすい場面です。それでも裁判所は、「では完成したイラストから、元写真の創作的な表現を直接感じ取れるのか」と、類似性を別に検討しました。

(【引用・図3】判決別紙1(本件写真素材)・別紙2(本件イラスト)・本件イラストの一部拡大。出所:松田俊治=田島弘基「第2回 写真を基にして描いたイラストの著作権侵害該当性(実務 知財判例研究会)」NBL1136号(2018年)86頁。)

 裁判所はまず、元写真について、被写体の配置・構図だけでなく、左前面上方からの光、色彩、背景を白っぽくぼかしたことによる人物とのコントラストなど、それらの総合的な表現に撮影者の個性が表れているとして、著作物性を認めました。
 しかし、被告イラストと共通しているのは、右手にコーヒーカップを持った男性の頭部から胸部までの輪郭などにとどまりました。イラストは白黒で、背景も無地です。元写真の光の当たり方や色彩、背景とのコントラスト、髪の流れ、鼻・口の表現は再現されず、シャツの柄も異なっていました。しかも、イラストは約2.6センチ四方という小さな表示でした。
そこで裁判所は、イラストが元写真に依拠して作成されたことを前提としながらも、元写真の「表現上の本質的な特徴」を直接感得させるものではないとして、複製権・翻案権侵害を否定しました。なお、判決は、原告が本件写真素材の著作権者であることの立証も十分ではないと判断しています。そのため請求棄却には権利帰属の問題もありましたが、本稿で注目したいのは、依拠性があっても類似性が別途検討された点です。
 この判決のポイントは、人物やコーヒーカップといった個々の共通要素を一つずつ数えるだけでなく、構図、光線、色彩、被写体と背景のコントラストなどが組み合わさって生まれる写真全体の表現を見ている点です。豪姫の件でも、手の位置、衣装、構図などをばらばらに比べるだけでは足りません。それらの組合せとして、元作品の創作的表現が最終画像にどこまで残っているのかを見る必要があります。
 もっとも、写真からイラストや絵画へ表現形式が変われば、自動的にセーフになるわけでもありません。たとえば、いわゆる「祇園祭写真事件」(東京地裁平成20年3月13日判決・平成19年(ワ)第1126号・判例時報2033号102頁)では、趣味で写真撮影をしていた原告が平成14年(2002年)7月17日の祇園祭で、神官を中心に4基の神輿が正面左右に配置された、神輿の「差し上げ」直前の場面を撮影した写真が問題になりました。デザイン会社は平成17年(2005年)6月ごろ、その写真に依拠して水彩画を制作し、新聞広告や祇園祭用ポスターなどに使用しました。裁判所は、写真から水彩画へ表現形式が変わっていても、全体の構図や、神官と4基の神輿の配置などを通じて、元写真が表現した祇園祭の厳粛な雰囲気を水彩画から直接感じ取ることができるとして、翻案権侵害を認めました。実際の「本件写真」と「本件水彩画」を比べると、この判断の意味がより分かりやすくなります。

(【引用】祇園祭写真事件の本件写真(左)・本件水彩画(右)。出所:東京地裁平成20年3月13日判決(平成19年(ワ)第1126号)LEX/DB掲載資料・文献番号28140692。)

 つまり、決め手は「何をしたか」だけではなく、「何が作品に残ったか」です。この判決が「豪姫」騒動に示唆的なのも、まさにそこです。元作品を実際に見ていた――どころか、一部をなぞったことまで認められていても、それだけでは侵害は決まりません。依拠性と類似性は、別々に検討する必要があります。著作権法は「見たらアウト」という早押しクイズではないのです。
 


では、今回の「豪姫」はどう考える?――謝罪と裁判は別問題

 ここまでの判例の考え方を踏まえて、今回の豪姫に戻ります。侵害を主張する側なら、人物全体の輪郭、身体の向き、腕や手の位置、衣装の重なり、構図など複数の要素が具体的に組み合わさって共通しており、元作品の創作的特徴が残っている、と主張できます。
 反対に侵害を否定する側なら、顔は別資料を参考に変更され、着物の柄も変更されており、残っている共通部分の多くは「和装した正面向きの歴史上の女性」といった一般的な要素ではないか、と反論できます。
 サライ.jpは本件を著作権侵害として公式に謝罪しています。ただし、企業が問題を認めて謝罪することと、裁判所が保護される表現を特定し、類似性・依拠性などを審理したうえで侵害を認定することは同じではありません。
 ですから、この件を「出版社が著作権侵害を認めて謝罪した事例」とだけ整理してしまうと、著作権法のいちばん興味深い部分を見落としてしまいます。もし実際に訴訟になったとしたら、最終掲載画像に元作品の創作的な表現がどこまで残っているのか――そこを改めて考える必要があります。




最終画像が似ていなければ全部セーフ?――AIへの入力というもう一つの問題

 もっとも、最終掲載画像について類似性が否定されたとしても、それだけで本件の著作権問題がすべて終わるわけではありません。今回には、元の肖像画そのものをChatGPTへ入力した行為という、別の問題があります。画像をAIへアップロードする過程では、著作物の複製が問題となり得ます。
 著作権法30条の4には、一定の場合に、著作権者の許可を取らずに著作物を利用できる「例外」が設けられています。法律では、このように著作権者の許可がなくても利用できる場面を定めることを「権利制限」と呼びます。これは、著作権者の権利そのものがなくなるという意味ではありません。「本来なら許可が必要な利用でも、法律が定めた目的と範囲に収まるなら、例外的に許可を取らなくてよい」という仕組みです。
 30条の4が典型的に想定しているのは、作品を読んだり見たり聴いたりして楽しむためではなく、コンピュータがデータとして解析するために利用する場合などです。文化庁も、ここでいう「享受」とは、作品を視聴するなどして知的・精神的な満足を得ることだと説明しています。もっとも、今回のように特定の肖像画をAIに入力し、その作品の創作的な表現を出力に反映させることが目的だったと評価される場合まで、当然にこの例外で許されるとはいえません。要するに、「AIに入力したから30条の4で大丈夫」なのではなく、何のためにその画像を入力したのかが問題になります。
 つまり、①最終生成物の類似性と、②元画像をAIへ入力した段階の適法性は分けて考える必要があります。著作権法、ここでも簡単には帰らせてくれません。
 制作工程は「元肖像画 → ChatGPTへ入力 → AI出力 → Affinityで加工 → 最終掲載画像」と説明されています。本当なら、ここでぜひ見たい画像があります。ChatGPTが最初に出した「加工前」の画像です。
 これがあれば、AIが元作品のどの表現を残し、その後人間がどこを変更したのかを切り分けられます。しかし、現在確認できる公開資料では、この中間生成物を独立した画像として確認できません。また、顔の修正に使ったという「別の銅像資料」も具体的には特定されていません。

 



AI時代なのに、最後は昔ながらの著作権法

 生成AIの事件と聞くと、「AI時代のまったく新しい問題です」と思いたくなります。しかし今回の中心には、何を参考にしたのか、何が似ているのか、その共通部分は創作的表現なのか、という昔から著作権法が考えてきた問題があります。
AIを一回通せば別作品になるわけではありません。反対に、元作品をAIへ入力したからといって、最終生成物の類似性まで自動的に決まるわけでもありません。

 

 人工知能がどれだけ賢くなっても、最後に細かいところを見比べて悩むのは人間らしいです。もしかすると、AIより著作権法のほうが少し面倒くさいのかもしれません。でも、その面倒くささこそが、著作権法の面白いところなのかもしれませんね。
 

2026年10月05日